コミュニケーション言葉at 2002 04/20 10:58 昨夜、眠れなかったから、あれこれと考えていたの。 言葉・・・ 友だちが少なかった、私には本が友だちだったの。 言葉、友だちの言葉から学んだよりも、 本の言葉から学んだことの方が多かったかもしれない。 最初に、思い浮かんだのが、森有正さんの言葉。 彼の言葉に出会ったのは、『二十歳のエチュード』のあとがきでした。 二十歳のエチュードは、小説家の息子さんが残した自殺の手記。 森有正さんはこのように書いていたの。 ・・・どんなに現実が薄汚く、醜く見えようとも、死より無意味なものはない・・・ すみません。正確さにはかけます。 この言葉をノートに抜書きしてあるのですが、そのノートは、 引きこもりをしている弟に貸したまま、手元にないので。 あの頃の私は、自殺の手記を手当たり次第読んでいたの。 ともすれば、現実逃避の手段のひとつに自殺を考えてしまいがちな、 自殺を美化してしまいがちな、私をとどめてくれたのが、 あの言葉でした。 言葉は、そんな力があるの。 その後、森有正さんの著書を一冊だけ読んだの。 体験としての人生を大切にしておられるな、と学ばせてもらったことを覚えているの。 キリスト教を信仰していた方でした。 言葉・・・ ネットの上の言葉であるかどうかなんて関係ないのだと思うの。 その言葉がどれだけ真摯な思いで用いられた、 言葉なのか、が大事なのだと思うの。 ネットでのコミュニケーション at 2002 04/21 17:13 ネットの世界でつねに問題となってくるのが、 書き言葉のコミュニケーションが双方向のもではなく、 一方通行のものであることからくる、トラブル。 誰かの書いた言葉を、曲解する、誤解する。 勘違いする。 その勘違いした内容に対するレスがまた、誤解を生むこともある。 最初はちいさな、食い違いが大きなトラブルになることもある。 「だから、細心の注意を払って払いすぎるとはない」って 言っていた人もいるけどね、 なかなかね、普段はコントロールしていても、 つい感情が入って相手を傷つけることもあるし・・ コミュニケーションはむずかしい。 けどね、現実の人間関係でも、結局食い違った時が大切なの。 食い違った、会話をどうつなげていくか。 もどかった、関係をどう修復するか。 その経緯を踏むことなしに人間関係が築かれるってことないよね。 誰かに仲裁をたのむっていうのも一つの手だし、 掲示板のように公の場ではなく、 メールの個人対個人の場で話してお互いの誤解を解くっていう 作業もいるかもしれない。 リアルタイムのチャットで、より丁寧に話すっていうのもよいかも。 ディスコミュニケーションが、本当のコミュニケーションの始まり・・・ 食い違って、初めてお互いが理解しあえていなかった部分が 見えてくる。 これが一番大切なことかも・・・。 言葉を使わないコミュニケーション at 2002 05/03 13:02 初めてのこどもさんを昨日預かりしまた。 託児はね、独身時代に少々経験がありました。 あの頃から泣いている子どもをあやすのが得意で、 他の人では泣きやませることのできない子どもとね、 関わっているといつ間にか泣き止むの。 なんのことはない、言葉を使わないところで、 その子とコミュニケーションをしていたからなの。 言葉を使わない、コミュニケーション・・・ 子どもたちの自分のやりたいようにやりたいんだってことを 尊重してあげることかな。 お母さんのそばにいたい子、一人遊びで満足している子、 少し淋しそうにしている子、かまってほしそうにそばに寄ってくる子、 見ているとわかるじゃない・・・ いつもやりたいようにさせてやれるわけではないけど、 本人の思いを尊重してあげるときをきちんと持っていると、 こちらの言うことも聞いてくれるよね。 こちらが、受け入れているっていう気持ちが伝わるとね、 泣きやまなかった子どもも落ち着いてくるんだよね。 大人は言葉を持つようになって、そのコミュニケーションを 見失ってしまっているのかもしれない・・・ 文明の発達とともに見失ったもの・・・ at 2002 05/18 19:05 縄文時代の人々には、 言葉をかわさないでもコミュニケーションがとれていた、と 栗本真一郎教授が、本に書いていました。 相手の想いが、相手の姿よりも先に漂ってくるんだって。 まるで、においのように、って感じかな(笑) だからね、嘘がつけなかったんだよ。 でもね、人は言葉を使うことによって、 その能力を退化させてしまったんだね。 道具を使うようになって、 ものを機械で生産するようになって、 文明が発達するとともに 人々は機械の一部のような人生を生きるようになったね。 大事な物を忘れているよね。 官僚主義がだめにしているよね、組織が人を台無しにしているよね、 医療の現場が腐ってしまっているよね、 教育が人をだめにしているよね、 心がなんなのかさえもわからなくなっているよね、 命の大切さえも見失っている人たちもいるよね。 たかが、ネットを楽しんでいる方々へ at 2002 06/13 16:59 そうなのです。たかが、ネットなのです。 それでいて、多くの人がWebを作っても、閉じていきます。 理由はいろいろあるでしょうが、 人間関係のトラブルに疲れてしまう人も多いように思います。 そして、閉じてしまったサイトのあとを引き継ぐように 新しい人がたくさん、現れ出て来ているようです。 ネットを楽しむルールはいくつも、あると思うのですが、 私が気付いたことを記そうと思います。 まず、書き言葉には、その人の言いたいことの全てを記しているとは限りません。 一部で全体を判断することのないように気をつけましょう。 これが直接に話をしている場合は、相手の話をうのみにしないで、 たとえば、「それって本当なの。確かめてみた?」と訪ねることもできれば、 言っていることを勘違いしないで、 どういうことなのかわからないから、もっと詳しく説明して、 と訪ねることもできます。 ところが、書き言葉の場合は、それができない。 ある一部を書き記した言葉で、間違った推測をしてしまうことは 多々あります。そして、それがトラブルの原因となることもまた多いのです。 それから、これもよくあることなのですが、 他の人のコトを話す時、それから他の人の書いた文章を引用する場合は、 相手の確認と了解を得る・・・これが基本です。 私の言った言葉が、他の人を通して語られたときには、 違う色合いをもって語られていた・・・ということはよくあります。 ネットの場合は特に書き言葉となって残りますから、 自分の書いた文章に責任を持ちましょう。 ちなみに、これらのコトは自分にも言い聞かせる意味で書きました。 トラブル at 2002 06/16 17:22 トラブルが起きることはめずらしくない ディスコミュニケーションが起きたときが 本当のコミュニケーションの始まりだと思っているの。 だから、トラブルが起こることを恐れてはいないの。 そして、トラブルが生じたとき、 私は何故、このことが私の身に起きたのかをまず考える。 このときに、このコトと出会う必要が何故あるのかを。 誰が悪いかが問題なのではない。 問題は常に、そのトラブルの現象。 人ではなく、コトなのだと思っているの。 今回の場合は、私の言葉が、一人歩きすることを まず、阻止したかったの。 だから、サイトを閉じたのです。 そのことが、他の人にどう影響を与えてしまうか、まで 配慮する気持ちがたりなかったかもしれない。 でも、全てのことを配慮していたら、 結局は何もできないような気がする・・・ けれど、配慮がたりないことは多々あると思います。 そのことは許していただければ嬉しいです。 距離感 at 2002 06/17 19:40 人間関係に一番大切なことは、距離感のような気がする。 相手を理解する。相手を知る。 それから、相手の望んでいることを知る。 もしかしたら、そっとしておいて欲しいと思っているかもしれない。 もっと近づいてきて欲しいと思っているかもしれない。 今は機嫌が悪いかもしれない。 そばにいて、手を差し伸べてほしいと思っているかもしれない。 耳を傾けてほしいと思っているかもしれない。 子どもを見ているとよくわかる。 彼らは言葉を発しないから、 状態をみて判断する・・・ 今は一人遊びに満足している。 相手をして欲しいと思っている。 抱っこして欲しいと思っている。 おなかがすいている、と要求している。 今は眠くて機嫌が悪い。 相手が何を望んでいるのかを察して、 必要な手を差し伸べる。 求められていない形で 与えても相手には届かないだろう。 その想いは・・・ お勉強 at 2002 06/18 19:35 おまえの手に負えるやつではないって わかるだろう・・・って そういえば、以前にも言われたなあ。 にもかかわらず、 手を出してしまうのですよね。 ややこしくなりそうな、縁に。 やはり赤毛のアンにそっくり(爆) でも、 少しお勉強しようと思います。 はい、同じ失敗は繰り返しません。 ただし、まだしたことのない、 失敗については、 可能性はなきにしもあらず(笑) 八方美人 at 2002 06/30 09:00 これは、私のことです。 以前なら、自己嫌悪しているかな。 でも、どこかに所属するという考え方が嫌いで、 誰かの肩をもつということもしません。 ディスコミュニケーションを丁寧に フォローしていくと、 自然とつながりは回復します。 そんなつきあいをしているから、 どんな人とでもつきあえます。 それが時にはトラブルをよぶことがあります。 それを覚悟でこの性格をやっています。 ただ、そのソフトさゆえに、 相手に伝えるべきことが十分に伝わらないことがあるのです。 じゃ、思い切りはっきりと、強く言い放てば伝わるでしょうか。 もしかしたら、 やっぱり相手は傷つけられたと考えるだけで、 それも伝わらないのではないかしら。 自分を守ろうと今度は攻撃に出てくることも考えられますよね。 そんなことを今は模索しています。 ホームページ at 2002 06/30 11:06 多くの人と交流しようとしているわけではない。 ただ、居心地のいい空間であって欲しいと思っている。 そして、そこで 私はただ私の話したいことをしゃべっている。 それが私のホームページ。 人に伝える・・・のは、 相手に自分の価値観を訴えることではなくて、 相手にとって必要なタイミングに、 相手にとって必要なメッセージを伝えるコトだと思うの。 それ以外の時に、 やみくもに訴えても、耳を傾けない人は傾けない ネットによるコミュニケーション at 2002 07/04 09:46 それでも、今私がネットを続けているのは、 ネットはあくまでも 人がコミュニケーションとして用いている道具であって、 人と人の関係はこのコミュニケーションを通して、 築くことができるって信じているからです。 書き言葉はむずかしい。 でもね、書き言葉のよさは、 考えて書くこともできるってことなんだよ。 感情的になった言葉や、口よりも手が先に出てしまう人たちは、 書き言葉を使っても同じように 人を傷つけたりもすれば、 人の気持ちを無視して書くかもしれない。 でもね、少し考えて言葉を発する練習にもなると思う。 だって、今は現実の私もおしゃべりで通っているけどね、 以前は口べたで話べただったんだよ。 書き続けたから、言葉を思うように扱えるようになっただけ・・・ 私がホームページで伝えたいこと at 2002 07/06 18:02 一時期、書くということができなくなった時期がありました。 書き言葉では伝わらないことが多くて、 また、そのためにトラブルがよく起きたからです。 その頃と平行して、 私は沈黙を守る母から多くのことを学びました。 母は、脳溢血で倒れて、左半身不随になっています。 次女の出産を控えている私のためにリハビリを頑張っていました。 リハビリ一週間目にバーを持って伝えあるくところまでいったのですが、 左手が全く動かないことにがっかりしてしまって、 その後はリハビリが続けられなくなったのです。 そのうえに、感情障害を伴ってしまったので、 欝になってしまいました。 帰るたびに話がはずんでいて、おしゃべりだった母が 全く話さなくなってしまったのです。 私はその母から、言葉にならない想いを学びました。 言葉ではない、コミュニケーションの大切さを学びました。 母と接する時は、私は言葉がいりませんでした。 なぜなら、母の求めていることを してやるとそれだけで母は元気になりました。 物を食べなくなった、母が、パンを食べて おなかの調子が悪くなったこともあります・・・ 私は、母から学んだその、言葉にならない思いを 伝えたくて、再度書き始めました。 ホームページを作った理由も、 最初は自分の作った作品をアップすることでしたが、 それと同時にあんのおしゃべりの中で この思いを伝えたいと思ったのです。 |